当ブログ運営者、risaのプロフィールと実績です。

risaって誰?どんな人?
そう思っているあなたへ、私のプロフィールと今までの人生をお伝えします。
基本情報は以下の通りです。
身バレ防止の為、本当にざくっと。
- 1983年生まれ
- 3児のママ
- 正社員、webライター
- 生い立ち
- 当時は珍しいフルタイム共働き世帯で育つ
- 脱走癖のあるちょっと変わった子
- 陸上に明け暮れた中学・高校時代
- いわゆる優等生の学級委員タイプ、でも生活の中心は部活
- 資格をとり社会に出るも、給与が安くて不満
- 家族3人月15万円生活スタート
- 妊娠~出産、娘が1歳を迎える頃まで家族3人で月15万円生活
- FX、ポイ活を試すも決定打にならず
- インカム先を増やすことの重要性
- 共働きでも収入増!選んだ道はWEBライター
生い立ち


当時は珍しいフルタイム共働き世帯で育つ
一番古い記憶はど田舎の長屋暮らしです。夏にはホタルが舞うような、周りは田んぼばっかりの超!田舎です。
住んでいるのはど田舎でしたが、当時はまだ珍しいフルタイムの共働き夫婦の家で育ちました。
おかげで、「健全な心と身体があるなら働く」「家の中の仕事は夫婦双方が担う」と刷り込まれました。これは今でも我が家のルールです。
脱走癖のあるちょっと変わった子
バリバリの保育園児だった私ですが、なぜかよくロッカールームや倉庫に脱走していました。本人は実は逃げているつもりは全くなく、「これつまんないな、よし外に出よう」くらいの感覚だったと思います。
おおらかな時代だったからでしょう、無理やり教室に連れて帰られることもなく、しばらくして満足したら自分から戻っていっていました。
今考えたらよくそんな事していたな、と思います。今だったら超問題児ですね(笑)
いわゆる優等生の学級委員タイプ、でも生活の中心は部活


小学生になり、面倒くさい逃亡癖が治った私はすっかり先生に気に入られるタイプの優等生になりました。勉強もそこそこでき、聞き分けも良い子どもになった私は毎年のように学級委員長を任されました。
どんな心境の変化だったのでしょう。全く覚えていませんが、大人受けを気にして行動していましたね。
中学校以降は、生活の中心は部活でした。高校は県内有数の進学校だったため授業はしっかり聞きますが、放課後はチャイムと同時に教室を出てダッシュでグラウンドへ!
この頃のトレーニングや食事管理を通して、「栄養」に興味を持ち、栄養学を学ぶために大学に進学しました。
資格をとり社会に出るも、給与が安くて不満
順調に進学し、いざ就職活動となったとき、現実を叩きつけられました。
私がやりたいと思っていたスポーツ栄養にかかわる仕事はめちゃくちゃ狭き門で、「何年も下積みを積んでもそれになれるか分からない、それでもやりたいならどうぞ」と言われるような世界でした。
結局、たまたま内定をもらった企業(かろうじて食品系)に就職しました。それからご縁をいただき、保育園の栄養士に転職しました。
保育園の栄養士は、仕事内容は良かったのですが(残業もなく日・祝は確実に休み)唯一の不満は給料でした。
夫も介護士のためお世辞でも高いとは言えないお給料。2人分合わせてやっと1人前くらいだったと思います。それでも夫婦2人だけなら、なんとかなっていました。
家族3人月15万円生活スタート
安月給でも友人も多く、共通の趣味を思いっきり楽しんでいた私達夫婦に、衝撃が走ります。
私の父(当時64歳)の末期がんが見つかりました。父の最後の望みが、「1回でも多く、家族みんなでご飯を食べたい」でした。
そんなん言われて帰らないわけがない。進学、就職、結婚までした土地から、地元へ帰る決断をしました。
妊娠~出産、娘が1歳を迎える頃まで家族3人で月15万円生活
地元へ帰ってきたことを一切後悔はしていません。でも、この帰ってきてからおよそ1年半が、私の今までの人生で一番お金がない時期でした。
介護士の夫は速攻で新しい職場が決まりました。しかし、このときすでに私のお腹には長女がおり、働けません。
授乳中でめっちゃお腹が空くのに他に食べるものがなくて、実家からもらった大豆(家業の関係で大量にある)をポリポリ食べていました。それくらい、我が家の経済状況はどん詰まり。
これからの生活や教育資金を考えるとめちゃくちゃ頭が痛い…!どうにかして生活を安定させようと、身重ながらできることを片っ端から試しました。
FX、ポイ活を試すも決定打にならず
お金がない、でも働けない。
徹底的な家計の見直しはもちろん、どうにか収入を得られないかいろいろ試してみたのもこの頃です。
独身時代にちょろっとやって速攻で撤退したFXを再開したり、ポイ活サイトを利用してみたり。でも、どれも結果として生活を楽にはしてくれませんでした。
FXは浮き沈みがありますし、今すぐ生活を安定させるには不向きだと判断しました。そもそも余裕資金を運用しないと痛い目をみるのは明らかです。
一度大損した経験もあり、今日明日を生きるために手を出し続けられるわけもなく、撤退。
ポイ活は非効率過ぎて諦めました。1日色々頑張ってみても、せいぜい10円~20円にしかなりませんでした。費用対効果が悪すぎてこれも撤退。
インカム先を増やすことの重要性
起死回生は、長女の保育園が想像以上に早く決まり、私が働けるようになってからです。
パートから正社員に引き上げられ、転職にも成功し、我が家の家計状況はみるみるうちに改善。
結果として「共働き」はうちでは暮らしていく上では必須でした。
贅沢に感じていたコンビニにすっと入れるようになるまでそう長くかかりませんでした(笑)。
共働きでも収入増!選んだ道はWEBライター


我が家の起死回生の一手は、インカムを1馬力から2馬力に増やす「共働き」です。
結局それかよ~と思いますよね。
しかし、子どもが3人に増えた今、正直もうちょっとお金がほしい!
時間も体力もがっつり育児と仕事に取られる中、私が出した結論は「WEBライター」でした。
いわゆる「副業」ですが、3人子育て中、しかもフルタイム共働きでも収入の柱をもう1本作れるとわかりました。
もちろん、まだまだ発展途上ですが、私が今まで手を出したFXや投資信託、株式にはなかった、「自分に技術が身についている」感覚があります。
私の実績としてはこんなところ。
- ランサーズを始めてから2ヶ月で認定ランサーに
- 始めて2ヶ月で月間収益41,500円(2022年9月)
- 企業と直接契約して執筆 など
半年前の私には、「3人育てながら」「今の会社も辞めず」「雇用形態も変えないまま」副業ができるなんて想像もつきませんでした。
しかもWEBライターには定年もなく、何らかの理由で会社づとめができなくなっても、収入がいきなり0にはならない。
これって結構すごくないですか?
実体験として「収入が0、全くない」と「2~3万円でも確実に入ってくる」では心の余裕がまるで違います。しかも、収入が少なければ少ないほど、「1万円」のインパクトは大きくなります。
私の活動時間はそう長くありません。理由は、これ以上子どもとの時間を削れないから。
ただでさえ触れ合う時間が少ないフルタイム共働き、これ以上削ったらお互いの精神衛生上非常によろしくない。
「子どもが寝たあとの1~2時間で成り立つお仕事」としてもWEBライターはとても魅力的です。
そんなわけで、今日も子どもたちが寝静まってから記事を書いています。